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国宝 阿修羅展 [アート]

友と公園口で待ち合わせをして、まずご飯^^
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公園内の韻松亭へ。朝は雨が降っていたので、一層緑が鮮やかできれい。

そして、向いました。国宝阿修羅展。
興福寺とは・・
藤原鎌足夫人の鏡王女が夫の病気平癒を願い、天智天皇8年(669年)山階に創建した山階寺が起源。天武天皇元年(672年)藤原京に移り、710年の平城遷都に際し不比等が平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた。藤原氏の隆盛とともに奈良時代には4大寺、平安時代には7大寺の1つとして栄え、鎌倉時代には大和守護職を勤める。安土・桃山時代には織豊政権に屈し、1595年の検地では春日社興福寺合体の知行として2万1000余石とされた。現在、 「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

入ると、まずは19世紀に出土した金・銀・水晶・銀椀の鎮壇具が並ぶ。混んでいたので遠くからチラ見。これが8世紀のもの!?と、いちいち感心しながら通り過ぎた。そして・・

阿弥陀三尊像及び厨子(法隆寺 7世紀)
興福寺の十大弟子像と八部衆像は、光明皇后が733年に母の橘美千代の一周忌法要の為に造像したもの。阿弥陀三尊像は橘美千代の念持仏。
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お見事です!!神々しい雰囲気、後屏の見事さ、蓮池の美しさ・・It's Perfect!

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阿弥陀如来~^^そのお顔、肩の線、足の組み方・・となんとうつくしいこと・・

続いて華原磐 (興福寺 734年)
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支える獅子の重量感といい、竜の迫力、竜の足のうろこやトゲトゲまで精緻なつくり。

そしていよいよ阿修羅さんコーナーへ。そこに続く道は、阿修羅ピンナップが並びTDLのアトラクションの様にスターの登場感を盛り上げる。

おっ。
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おぉーっ。
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阿修羅は八部衆に属する仏教の守護神。古代ペルシャの聖典『アヴェスター』に出る最高神アフラ・マズダーに対応するらしい。それが古代インドの魔神アスラとなり、のちに仏教に取り入れられた。

[ぴかぴか(新しい)]阿修羅さんプロフィール[ぴかぴか(新しい)]
★出身地:   
阿修羅の一族は、帝釈天が主である忉利天に住んでいた。
★人生の転機:
阿修羅には舎脂という娘がいたが、帝釈天に無理やり奪われたため、阿修羅は激怒して帝釈天に戦いを挑む。戦いは常に帝釈天側が優勢であり、阿修羅は天界を追われることになった。また、阿修羅は舎脂が帝釈天の正式な妻となっていたのに、戦ううちに赦す心を失ってしまったという説もある。たとえ正義であれ、固執し続けて妄執の悪となってしまった。このことから仏教では天界を追われ人間界と餓鬼界の間に修羅界が加えられたともいわれている。
★運命の出会い:
そんな時、下界で釈迦に出会って改心。以後、仏教を守るために戦う神・阿修羅として生きることを決意し、善鬼神となった。
★性格: 
戦いの神としての荒々しい面と、悔い改めようとする厳粛な気持ちの二面性を持つ。その表情からも修羅場を生き抜いた厳しさや、怒り、許し、悔しさ、善の心など複雑なこころのうちが読み取れる。
★メッセージ: 
東京はスポットライトが眩しいですが頑張っています。

注目すべきは、その横顔!なんと優しい面持ちでしょう。
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角度によって、様々な表情が読み取れる、不思議ですごい阿修羅様なのでしたm(_ _)m 

迦楼羅立像(八部衆のうち) 734年
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八部衆はもとはインドの神々。「阿修羅展」は結構外国人さんが多くて、"Oh~~India~"とかって言葉がそこかしこで聞かれた。いずれも異形の姿ではあるが、鳥頭の迦楼羅はかなり目立つ存在である。何食べるんだろ・・と(怖)思ったが、私の想像を超えて主食は蛇らしく、一層怖い。しかし、きっと横を向いた姿勢、「くわっ」と見開いた目が大変に印象的である。

乾闥婆立像(八部衆のうち) 734年
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毎度不謹慎な私だが、この被りものはどうしても「ご当地キティ」を思い出してしまった。


阿修羅展を後にして、友に連れられお隣の法隆寺宝物館に行きました。
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お宝を見てから、お茶を。テラスは緑でいっぱい!憩いのひと時でした^^
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ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画 [アート]

あれだけ騒いでおいて・・やっと行きました^^;ようやくご対面です、レース嬢!!

既に行かれた方も多いと思いますが・・・このルーヴル展のテーマは、①黄金の世紀とその影②旅行と科学革命③宗教上の変化 の3つの観点から、ヨーロッパの17世紀の多様性を理解することだそう。それによって新たな「黄金の世紀」の理解につなげることを目的としているそうです。
印象に残った作品をあげてみました^^

①「「黄金の世紀」とその影の領域」
芸術上は「黄金の世紀」とされている17世紀。芸術的成功は、経済の好況を背景としていたがそれは限られた場所のことだった。王侯は威厳を伝え、画家を庇護、またオランダ人は貴族的模範を身につけようとした。しかしその光の裏には影である貧困、戦争、疫病、略奪が存在していた。黄金の世紀も一概に幸福な時代ではなかったのである。今と同じですな。

・マリー ド メディシスの肖像  フランス・プルビュス(子) 1610年 
 312×185.5 cm ←でかっ。
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戴冠式の衣装で王の天蓋の下にいる、マリー・ド・メディシス。ウルトラマリンを使用し、王冠には35カラットのダイヤ。胸の十字架も王家の宝石。真珠のそばにはダイヤモンド。百合はフランス君主制のモチーフ。こうした絵でマリー・ド・メディシスは宮廷同士の友好を願った。黄金の世紀は宮廷の世紀だった。すごっ。(宮廷の人は。伊語とか仏語とか、皆話せるの?謎。)

・ド・ブロワ譲と推定される少女の肖像  ピエール・ミニャール  1680年以前
 138×98 cm
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ルイ14世と、ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールとの娘、ド・ブロワ嬢。手に持つオレンジの枝と庭園の天使アモルは、オラニエ公との結婚計画を暗示している。少女の優雅なポーズ、ヴェルサイユ庭園の遊戯がフランス風絢爛と洗練を表わしている。ワンコの耳には真珠のイヤリング(!)。

・レースを編む女 ヨハネス・フェルメール 1669-1670
 24×21 cm
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ところ変わってオランダ。思ったより小さかったけど、やっぱり黄色の可愛い色、胸のレースが細かくてエレガントな感じ、プツプツ輝く光の粒、流れる糸と、何故かクッションのラインにピンが合ったような不思議な遠近感・・・が見てて飽きなかったです^^ 理屈はまぁいいかなって感じ^^

・農民の家族  ル・ナン兄弟  1640年ごろ?
 113×159 cm
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悲惨で、戦争に悩み、飢餓と背中合わせの農民の日常。と、いいつつテーブルの塩やワインは宗教的で、困窮する人はキリストを想起させるとのこと。対抗宗教改革のカトリックの精神性において意義のある絵とのことです。

②「旅行と「科学革命」」
ルネサンスからの大航海が見事な発展を遂げる17世紀。征服と経済における欧州の拡大であり、一方美術市場は世界規模となった。また科学革命が発展しながら伝統的知識(魔術など)が消えることはなかった。新しい発見と伝統が混在していた時代。

・ブラジル、パライーバ川沿いの住居   フランス・ポスト  1661-1669
 104×130 cm
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西インド会社のオランダ植民地遠征隊の一員としてポストはブラジルに滞在。ヨーロッパの絵画市場では、異国ものはとても好まれた。

・アムステルダム港  ルドルフ・バクハイセン  1666年
 128×221 cm
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アムステルダム市がルイ14世の大臣に贈るため依頼。その美しさはもとより、政治的解釈としてオランダの軍事力、商業力の証明とフランスへの警告を意味していた。また、これらの大型船は大陸周遊の航海が可能なものであり、アムステルダムは17世紀の科学的進歩(海図、動植物研究など)に大きく貢献したのであった。

・アンドロメダを救うペルセウス ヨヒアム・ウテワール  1611年
 180×150 cm
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アンドロメダの足元には異国の宝物(貝殻)が精緻に描かれ海の覇者オランダを表わしている。一方、貝は全体にパールの光沢を与え肌の青味がかった輝きとリンクして美しい。竜は海を渡った商人の旅行記などに見られる怪物で、古典的主題でありながら17世紀ならではの表現となっている。

③「「聖人の世紀、古代の継承者?」
17世紀は多くの聖人がローマ教会によって列聖されたそう。プロテスタントの宗教改革により損なわれた勢力を取り戻そうと、カトリック協会が躍起になっていた時期。また、神とキリスト教徒の間に絆をつくり、信仰をより身近で親しみやすいものにしようとする考えがあった。

・エスランの聖母  シモン・ヴーエ   1640-1650
 97×77 cm
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プロテスタント教会に聖母崇拝は認められず対抗宗教改革運動の一環になっていた。ルイ13世は1638年にルイ14世となる子どもが生まれると、国を聖母に捧げる誓いをたてた。足で布をいじって遊ぶ様は自然さ、素朴さがみられる。

・大工ヨセフ   ジョルジュ・ド・ラトゥール   1642頃
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梁に穴を穿つヨセフをじっと見守るイエス。十字架への暗示がこめられている。闇の深さとろうそくの灯りが、静寂の世界を表わしている。

・ペテロの涙  グェルチーノ    1647年
 122×159 cm
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息子を失い、涙に暮れる聖母と、裏切った後悔に泣くペテロ。強い情動、悲劇的感覚が魂を結びつける。実際、鼻を赤くした聖母の泣き顔から深い悲しみが伝わる。対抗宗教改革として構想されたのは事実のよう。

東京のあと、京都ですよね^^ こうやってテーマをたてて頂くと私はわかりやすかったです。そして、17世紀という時代を考える上で、映画とか文章だけでなく実際にその時代に描かれたものを見ていると思うと、その空気に触れたような不思議な気持ちになるのでした。近いうち、六本木のルーヴル展にも行きたいと思っています。

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緑が眼に沁みる上野。この日はルーヴル+阿修羅さんの二本立て^^ 
友を迎えに、公園口へ・・・^~^
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オルセー美術館 2008/12/18 [アート]

続きまして、オルセー美術館です。
古典から現代につなぐ先達の戦い、すごいですね!!

<古典主義として>
ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル(1780~1867)偶然、前ページとつながっちゃいました^^
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泉 1820-1856      パフォスのヴィーナス 1852-1853       

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ヴィーナスの誕生1863(1863のサロン・官展) アレクサンドル・カバネル

1855年の万国博覧会ではアングルには専用の展示室が用意された。古代ギリシャ・ローマ芸術に傾倒し描線の正確さ、デッサンを優先。ドガもその弟子。「泉」も古代彫刻のような美の理想の裸婦。また、カバネルのヴィーナスは、ナポレオン3世が購入を即決した、類まれなる美として評価された作品。19世紀半ば以降は、このようなクラシックな美と新しい手法による感性のせめぎあいですね!

<バルビゾン派、農民画家>
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「朝、ニンフの踊り」1850-1851              「晩鐘」1857-1859
カミーユ・コロー(1796~1875)              ジャン・フランソワ・ミレー(1814~1875)
批評家たちはこの色調を「汚いスポンジ」と酷評。写生によって自然な風景をスケッチしアトリエで光を表現する手法で、その技法は印象派につながっていく。ミレーは1849年からバルビゾン居住。「晩鐘」は鐘と共に死者のために敬虔に祈る姿を描き、農民に永遠の性格を与えた。農民画としてはミレーは共和主義の心をつかんだが、厳格さや禁欲なまでの感略さで野蛮である、と批評された。

<エドゥアール マネ(1832~1883)>    
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「オランピア」1863年(1865年のサロン)       「笛を吹く少年」1866(1866の落選展)    

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「草上の昼食」1863年(1863の落選展)

神話的裸婦が評価される中、マネは強い目線のある娼婦を描き、頽廃的だとスキャンダルになる。また、色を平塗りする手法は西洋絵画の基本とされる遠近法と重量感を無視しており、遠近法とデッサンを勉強しろと非難された。

<戸外制作・クロード・モネ>
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「庭の女たち」1866-1867(1867のサロン落選) 255×205cm 
クロード・モネは戸外の写生による油絵を試み、手前に穴を掘って大作を描いた。1867年のサロンに落選するとルノワール、ピサロ、シスレー、マネなどが抗議したがかなわず、その展示要請も受け入れられなかった。資金不足で個展も開けず、印象派展が実現するのは1874年のこととなる。
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「ひなげし」1873年 1874年の第一回印象派展     「外光における人物の試み」1886年
セザンヌいわく「オブジェを描くことではなく、自分の感覚を表現すること」その通り、「ひなげし」では茎もない、赤い点が何であるかは見る側に託される。また、「庭の」以来、戸外の人物画をあきらめたモネが再びこれを試みたのは1886年だった。肖像画ではなく、一瞬のうちに捉えた光と空気を描く事を目的とした。

<友人関係 フレデリック・バジール(1841~1870)> 
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「家族の集い」1867年 1868年のサロン     「フレデリック・バジールの肖像」1867年 ルノワール
バジールはモンペリエの名門の出身。ノルマンディーの湿った空気でなく、南仏の光を表現した。グレールのアトリエでモネ、ルノワール、シスレーなど印象派画家と交流し、自分のアトリエに泊まらせたり、作品を購入して友人を支えた。サロンに落選したモネの「庭の女たち」も、彼が購入。ルノワールの描いたバジールの肖像には、背景にモネの「オンフルールの雪の道と二輪馬車」がかけられており、仲良しグループの絆をうかがわせている。バジールは1870年内戦で死去。

<女性画家>
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「揺り籠」1872年 1874年第一回印象派展  「庭の若い女」1880-1882
ベルト・モリゾ(1841~1895)           メアリー カサット(1844~1926)
ベルト・モリゾはマネの弟の妻。ブルジョワ家庭の平和な情景を描いた。第一回印象派展に参画した唯一の女性。「有毒な画家連中に混ざっている」と嘆かれた。一方メアリー カサットは米国からの留学生だったが、生涯の大半をフランスで過ごす。米国に印象派を紹介する功労者となり、美術館や美術収集家に購入を呼び掛けた。

<印象派時代 ピエール・オーギュスト・ルノワール>
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「習作、日のあたる女の上半身」1875 1876の第二回印象派展
              「ジョルジュ・シャルパンティエ夫人」1876年 1877の第三回印象派展  
磁器の絵付け職人だったが美術学校に入学、グレールのアトリエでバジール、モネ、シスレーと知り合う。画家として注目されなかったが、印象派画家たちは交流を深めた。「日のあたる女の上半身」は、光と影に溶け込むように表現されたがこの自由な手法は批評家たちの酷評を浴びた。「緑や紫のしみのある腐敗した状態」「腐りかけの紫色が悲しい思いにさせる」など、言われ放題であった。
サロンの始まりとともに作家と画家は交流したが1845年にボードレールがサロン評を刊行。1866年にゾラは「私のサロン」を出版。酷評された画家を作家たちが新聞、雑誌を通じて支えてきたと言える。シャルパンティエ夫人は出版社の社長夫人である。夫人は貧しい生まれのルノワールをスポンサーとなるブルジョワ階級の人々に出会えるよう取り計らった。
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「ぶらんこ」1876 1877年の第三回印象派展    
                   「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」1876 1877年の第三回印象派展
ぶらんことギャレットは評価されたが、「日のあたる」と同じような批判も受けた。「太陽は服についた油じみのようだ」と言われた。

<印象派後・ポール・セザンヌ(1839~1906)>
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「レスタック、マルセイユ湾の眺め」1878-1879   「たまねぎのある静物」1895
セザンヌは1862年に同郷のゾラに誘われパリに来るが、その画風が激しく暗く病的だったのでモネ、バジールら同僚にも批判されデビューは困難を極めた。1870年からピサロと共に風景画を描き始め、明るい画風に変わってくる。印象派に属したとされているが空気感の表現というよりも量感を表現していた。移ろいやすいものの表現と、構成・構造への配慮を両立させた。また静物画においていくつかのオブジェを複数の視点でみる手法は、フォービズムやキュビズムにつながった。

<ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(1853~1890)>そして、新星ゴッホ現る。
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「イタリア女」1887年         「星月夜」1888年
ゴッホはルノワールの「日のあたる女の上半身」のように、あえて顔に緑色を使用。従来の美しい絵画には許されない表現だった。フォヴィズム、ドイツの表現主義者、マティスにつながっていく。苦悩の多い性格のため交友関係もうまくいかず1888年2月、アルルに移住。経済的にも精神的にも危機的状況の中、狂ったように描き続けた。

ということで、すごく簡単にまとめてしまいましたがもっともっと深いですよねー^^;。ゴーギャンもあったし、ルソーも好きなんです^^でも今回はこの辺で!オルセー美術館、すごいです^^ 印象派、たくさんの天才が仲良しってところが可愛いですね。人は一人では生きていけないのですねー。。それに過去を否定して新しいことを発信するのは厳しい時代でした。といいつつ、ルノワールが「女性におっぱいがなかったら画家にはなんなかった」って言ったりしてるのが笑えます。それにしてもゴッホは苦しそう。。。時代に名を残す苦しい天才と、平和な一般人、選べるとしたらどちらがいいでしょうか!?←モグロかよ^^; 
ではおやすみなさい~(才能そこそこのお金持ち芸術家がいいかな)
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ルーヴル美術館 2008/12/18 [アート]

ご無沙汰しております(^o^)/
えーと、掃除に燃えてしまい、ひと段落つきました^^
あちこち、未開の地だった場所を次々と攻略しています。超懐かしいモノ達との再会や・・あちらこちらから湧いて出てくるエメリーボード・バファリン・化粧品。。いかにシステマティックでなかったか。神様許してください、毎日の生活で精一杯でしたT_T というわけで掃除は大変に楽しいリセット作業になっています。ところで先日のBOOKOFFですが、査定の結果6500円でした。うーん、まぁまぁかなぁ・・・。良しとしよう。

いい加減美術館レポをせねば、ルーブル美術館展が始まってしまう^^; ルーヴル宮は中世に要塞として建設、フランス国王の住居として8世紀にわたり歴史の舞台でありました。ルーヴル美術館は1793年に一般公開、百科事典的精神に則って、常に発展を続けているとのこと。30万点以上の豊富な資産。一万年に遡る時代から19世紀半ばまでにいたる歴史を求めて、年間700万人の人が訪れているとのこと。「人類の歴史への畏敬」を感じますね!!

<古代オリエント美術>  昔すぎて想像つきません。。。
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代官レピ・イル 紀元前2600-2330年  ハムラビ法典 紀元前1792-1750年 バビロン第一王朝   
お代官様はユーフラテスのマリ王国の高官。聡明で、お茶目に笑ってていい人そう。眉毛がつながっている。ハムラビ法典は、上が太陽神の話を聞くハムラビ王。下に王の判例が書いてある。目には目を。歯には歯を。これってどうなの?人が人を裁くのは難しいものです。

<古代エジプト美術>  なんとなく、体つきがアジアっぽいのね?
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セティ1世を迎えるハトホル女神 BC1294-1279 神妻カロママ「アメン神の崇拝者」 BC850年頃
王家の谷のお墓に向かう洞窟道に描かれていた。ファラオンがラーの娘ハトホル女神に死者の国に迎え入れられている。 右のカロママは、古代エジプト人の美的模範らしい。ちょっと仏像ぽくない?ウェストから腰、太腿の感じが美しくて、顔も穏やかで優しい。第22王朝、オソルコン1世の孫娘。アメン神の妻。
エジプトは行ったことがなくてよくわからないのです。アイーダもハムナプトラもクレオパトラも西洋人がやってるものしか見たことがないので・・・。エジプトはアフリカ大陸の中でも、アジアンというかほぼ中東なのね。wikiを見たところ、遺伝的に見ればエジプト住民の殆どが古代エジプト人の直系だそう。でも、日本人には想像もつかない支配される歴史で、公用語はアラビア語、日常言語としてエジプト語(コプト語)を使用する母語話者は数十名程度だそう。これだけの文化を誇った国なのにね。。


<古代ギリシア・エトルスク・ローマ美術> ちょっと近くなってきた気がする^^;
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ミロのヴィーナス BC100年頃     サモトラケのニケ BC190年ごろ 
古代ローマの愛の神。 顔も体つきもでかくて豊満ですね。ニケさんは部屋の中じゃなくて階段の上で出迎えてるのは別格だから??船首にたち翼を広げた勝利の女神。これはもう、希望と栄光に輝いていますね。すごいもんだね。

<工芸品・彫刻部門> いきなり最近です(笑)
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心の贈り物 パリ 1400-1410頃  踵に小翼を結びつけるメルクリウス 1753年
掛け布です。ハートをあげてるの。妙におじさんぽいのですが。恋人達が動物たちに囲まれていて。ちょこっと可愛くないですか?^^ メルクリウスは、商業の神だそう。ジャン=バプティスト・ピガール作。若々しくて可愛いね。

<絵画部門>  今回のルーヴル美術館展では、何が出るのかな!?^^
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モナリザの肖像 別称「ラ・ジョコンド」1503-1506 レオナルド ダ ヴィンチ/イタリア
人ごみの遠くから撮って、超へたくそ^^; 何度見てもおぉ~って感じはありますね。

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「聖アンナと聖母子」 1510年頃 レオナルド ダ ヴィンチ/イタリア
絵の後ろに風景があるのが流行ってるよね(爆) 透視遠近法が圧倒的な奥行きを与え、人物のピラミッド型の構成が格式にとらわれない新しい画法とのこと。先日この絵をX線??で見たら、下に馬の絵があったとニュースでやってました。ところで、この後ろの人は誰?モナリザさんにすごく似てませんか?

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レースを編む女 1665-1675年 ヨハネス フェルメール/オランダ
今後のルーヴル美術館展のポスターになっているので、この子が来ることは確実だ笑。やっと会えるのね^o^ 楽しみ^^ それにしてもこの歴史の流れを見ると、フェルメールさんはこの時代にとてもモダンな感覚を持った人だったという事がよくわかります。

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ルイ14世 1701年 イアサント リゴー/フランス
時代はフランスへ。絶対君主制のシンボル太陽王。なんというゴージャスないでたち。笑えるくらいすごい。でも靴と靴下留めが可愛い♪ 王冠と裁きの杖、エゾイタチの毛皮、戴冠式用ケープ、シャルルマーニュ大帝の剣など王権を示すすべてのシンボルが含まれているそう。

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かんぬき 1777年 ジャン=オノレ・フラゴナール
セクシーすぎる*>_<*この絵は97年に来たルーヴル美術館展の時のポスターになってました。18世紀の自由思想絵画のシンボル。かんぬきから左下のりんごにかけての対角線が誘惑→愛欲→倫落の過程だそうだ(・_・; ドラマチック!!

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ヴィジェ=ル・ブラン夫人とその娘 1789年 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ル・ブラン
フランス革命の年ではないのかな?作者はマリーアントワネットのお気に入りで欧州宮廷の花形だった。母性愛に満ちた自分の絵。可愛いね。

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ナポレオン1世の戴冠式 1806年-1808年 ジャック=ルイ・ダヴィッド
1804年 ノートルダム寺院。すごいねぇ。

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1830年民衆を導く自由の女神 1831年 ユジェーヌ・ドラクロワ
人民蜂起を記念して、自由を女性に擬人化してかかれた。胸がすごく気になります。なぜ。自由のシンボル画になってますね^^

なんだか作品の国の流れが、自然と時代の勢力図を現わしてしまいました。日本のものはないのかなぁとも思うけど、日本の芸術は日本にあれば良いかな、とも思ったりして。ところで今ってどうなんでしょうねー。こうやって歴史をたどっていくと、遠い未来から見た時の、今の歴史はどのように表現されるものかと思います。

お・ま・け
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んふ♪
(オダリスク  1814年 ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル/フランス)
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宝塚市立 手塚治虫記念館 [アート]

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宝塚市立 手塚治虫記念館
宝塚市武庫川町7-65
0797-81-2970

手塚治虫記念館に行って参りました!
あいにくの悪天候、もっときれいな宝塚の風景が見られたはずなのに山も霧がかかってしまい、土砂降りの中悲しい気持ちに・・・。しかし「花の道」を歩きながら宝塚劇場の横を通り過ぎると、たぶん熱心な宝塚ファンの方がちらほら。入り待ちなのか、おそろいの服を着て整列なさっていた。ド根性である。さすが聖地でありました。

記念館の前で金の火の鳥が待っていてくれました。そして入口ではリボンの騎士が迎えてくれます。
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一階を入っていくと、カプセルに入った展示物がたくさん。年代を追って、一列20個ほど。それが3列あります。一つ一見応えがありました。
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余談ですが・・このカプセルは、火の鳥2巻に登場するカプセルのイメージだと思われます。
西暦3400年、あらゆる動物が死に絶え、人間はコンピューターに管理される地下生活に入ります。世捨て人の猿田博士は地上で生命の再生を試みます。
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    from火の鳥2 未来編 昭和53年発売のもの。(これは私の^^)
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手塚氏は昭和3年生まれ。周りに自然があふれ、「幼い頃駆けずり回った山川や野原、夢中になった昆虫採集は懐かしさと輝きを心と体の奥深くに植え付けてくれたのです。」とのことです。そしてなんと。小学生の時の作品。
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なんかすごいぞ。中央・枚方の爆発、右下・伊勢参拝、左下・キャンプ の様子らしい。そして小学2年生の時の原稿用紙に書かれた作文もあったのだけど、それが連載になっているのです。しかも、一日の終わりが、次の興味をそそる終わり方になっている。(運動会の徒競争の様子・・)「ドン!」ピストルの音でその日は終わり。次の日の作文の始まりは「ピストルの音と共に僕は・・」と、作文ではなくてストーリーの作品になっているのでした。
そして中学生の時の作品 サインはオサムシと書いてありました。
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すごひ・・。
夢中になって書いたらしい、甲虫図鑑。緻密!14歳で早くもヒゲオヤジが登場しています。
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なるほど。。ここで一つの真理が。
      天才は、子供のころから天才なのである。
(大人になってからジタバタしてもあかんっ@_@;)

ビデオ上映もあり、その日は「手塚治虫ストーリー」。その生い立ちとスピリッツ、素晴らしさが語られて濃い内容でした。戦後の手塚漫画の大ヒットから漫画ブームへ、そして日本の漫画文化が出来上がっていく様子が表わされて、外国人の目には奇異にうつるという意見に対しての「あなたの国に手塚治虫がいなかったから」という言葉がとても説得力がありました。

二階に上がると、カフェ(アトムパンケーキのようなふざけたものはなかった。少し残念)漫画の初版の展示、閲覧用マンガ、オンデマンドのアニメなどの映像があり、どれだけ長く居ても楽しめる感じでした!でも私はフロインドのお昼→帰りのフライトの為に早々に退散。残念っ。また来なければ。。。。
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最後に手塚氏のお言葉。
(略・宝塚で育って・・)真っ赤に大きく揺らめきながら沈んでいく夕日や、風のざわめき、青い空に高く流れる白い雲--そんな自然に触れたとき、ぼくはいつもやさしい気持ちになっている自分を感じていました。
人間がどのように進化しようと、物質文明が進もうと、自然の一部であることには変わりはないし、そんな科学の進歩も自然を否定することはできません。それはまさに自分自身=人間そのものの否定になってしまうのですから。生命はかけがえのないもので、そして人類と同じように価値ある生命が自然界に満ち、それらが密接にありとあらゆる形で相互に生かし合っていること、また地球は人類はもちろんのこと、生物にとって絶対不可欠の星であることを熱意をもって、語りかけていきたいと思います。(中略)大自然の孤独に耐えて、ガラスのように壊れやすく、美しい地球に住む人間の小ささ、力を合わせていかねば生きられないこと、そして人間が一番偉いのではないこと、地球に生きる動物も植物も人間も、みんな同じように生をまっとうし、子孫を生み続けていく生命体であるのだと、まっすぐに受け止めることができるように思います。

2008年は生誕80年ということで、「MW--ムゥ」の映画、「ASTRO BOY」のハリウッド映画の企画が立ち上がったわけで、これからも感動を与えてくれるに違いありません。そのスピリッツが受け継がれていくように、活動を願っています。
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手塚治虫の遺伝子「闇の中の光」展 [アート]

ハヤシライスの食べすぎで、やや太り気味な今日このごろ。
皆様のカロリーコントロールはいかがな様子でしょう?^^

渋谷PARCOで行われていました、手塚治虫の遺伝子「闇の中の光」展に行ってまいりました。
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いったいどんな?と思いましたが、
・手塚作品をテーマとした、色んなアーティストの作品(「デフォルメされたピノコ」とか。)
・閲覧できる漫画
・ビデオ放映(①手塚氏の仕事ぶりをおさめたビデオ②過去のTV番組のオープニング・エンディング③エイベックス×手塚治虫のイメージビデオ④新ドラマMWの番宣)
でした。
私が一番興味があったのは、会場の外に飾られた原画でした^^

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TVのエンディング。見るだけで頬が緩む、この可愛さ♡
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閲覧できる漫画。ほとんど家にあるのでスルー。笑

そとに飾られた原画たち
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やっぱり、このピュアな瞳は正義の証。

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中学の時、夏休みに「司馬遼の項羽と劉邦を読むように。人生変わるから。」と先生に言われて読んだところ、その通り、人生は変わる!と思いました。「火の鳥」は同じように人生が変わったと思った作品です。何かに開眼したという感じかな?

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なんとかわゆい、「リボンの騎士」。ちょっと「白鳥の湖」のモチーフなんかも出てきて、中世な気分。動物と仲良しなのがとても素敵でした。高校1年の文化祭でこの劇をやりました。

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道徳観や哲学を含むエキサイティングな医学漫画。存在自体がスピリチュアルなブラックジャックです。

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いったいこれだけのストーリーのネタを、どうやって考えるのでしょう。忙しい中、資料収集とかはどうしていたのでしょうか。すごいです。実写のドラマになったら面白そうだけど、演技できる人いるかな?三つ目の絆創膏を取ると、古代の英知が目覚める「三つ目がとおる」

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最後が泣けたっす。

すごいなぁ。今年、生誕80周年らしく。。もっと作品見たかったですねぇ。後世に伝える価値のある漫画、と思うと、このスピリッツをハリウッドには正しく世界に伝えてほしいなぁとあらためて思いましたm(_ _)m
寒くなって来ましたね、風邪など、お気をつけて!
おろおろとブログを始めて、もうすぐ一年。そして次が100本目です^^ 100本目は何を書くべきか?皆さんは意識されましたか?ドキワク!!
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フェルメール展、行きました^^ [アート]

いまごろ?って言わないで^^;
上野の東京都美術館、12/14までやってますのでまだの方は是非~^^
「フェルメール 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」
ヨハネス フェルメールJohaness Vermeerは7点。そのほか同じ時代、デルフトで活躍したデ ホーホ、ヘイデンとか。
今回見たフェルメール作品を含む、いくつかのフェルメールさんを紹介します^^今回のフェルメール展にあるのは*フェルメール展ありと書いてあるものだけですのでお気をつけください。 (写真がマズすぎて、絵の良さが表れていません・・。SORRY)

フェルメールは1632年、ヨーロッパでいち早く市民生活をスタートさせたオランダ、デルフトに生まれる。他都市での修行の後、1652年にデルフトに戻り、結婚。1662年、最年少でデルフト画家組合の理事に。1671年にも理事に。高い評価を得ていたようです。1672年、フランス軍に侵攻されオランダは国全体が不況に陥り、絵画市場が冷え始める。パトロンも1674年に亡くなり、以来無収入でかなりの負債をおう。1675年、43歳で他界。未成年遺児は8人。(子供は全部で14人)そして5ヵ月後、妻により破産申請。
30数点の作品は、時代を追って常に新しいことにチャレンジしており、時代がよければもっと、20年も30年も生きて、新しい絵画を切り開いただろうと思われます。

マリアとマルタの家のキリスト*フェルメール展あり
1655年頃 160X142cm
スコットランド・ナショナル・ギャラリー蔵
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風俗画家として名を博す前の、物語画。キリストの話を聞くマリア。マルタは自分ばかり食事の支度をしていることが不満。キリストいわく、「なくてはならぬものは多くない。マリアはその良いほうを選んだのである。」マリアとマルタは瞑想的な世界、世俗的な世界を象徴している。

ダイアナとニンフたち*フェルメール展あり
1655-56 97.8x104.6cm
ハーグ、マウリッツハイス美術館蔵
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黄色の服の女性は頭の飾りから、ダイアナ。フェルメールの作品であるか、真偽が問われている。

牛乳を注ぐ女*フェルメール展にはありません
1958-59 45.4x40.6cm
アムステルダム国立美術館蔵(昨年国立新美術館にきてた)
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消失点は右手の甲の上。視点は低い。机に配置すべきもの、女性の身体の存在感のため、机は透視法を無視し台形になってしまっている。そして、そんなに光っていないであろうかごや、パンに無数の光の粒をつけることによって、キラキラしている。下がった器の影と女性の影が違う。芸術は、必ずしも真実ではなく、フェルメールさんが美しさを作り上げているのでした。

ワインを持つ女*フェルメール展あり
1660-61 77.5x66.7cm
ブラウンシュバイク、アントン・ウルリッヒ公美術館蔵
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ワインを勧める紳士の女の顔を見る顔のコスイ感じはどうでもいいが、女性がこっちも見て「うへへへ」と笑う顔がなんとも困ってるのか、苦笑しているのか、私は面白いのですがどうでしょう?(ホンモノはもっと表情豊かです)17世紀の「うへへへ」は、時代を超えて、不滅です。。ステンドグラスの絵の意味は「節制」。二人への警告らしいです^^; 前の「牛乳」に比べて光が全体的にやわらかくなるのが今後の特徴。床のタイル柄が、壁への距離をしめしている割には、額縁がせり出して近く見えています。

真珠の首飾り*フェルメール展にはありません
1662-65 51.2x45.1cm
ベルリン国立絵画館蔵
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最初は背後に地図があったが、消された。光を女性と前方だけに集めている。この服は、フェルメールさんお得意のお洋服。髪にリボンをつけ真珠のイヤリングをし、真珠の首飾りを黄色のリボンで結ぼうとしているところ。このお顔は当時的には美しいのか?美しくは見えないだけに、可愛い。おしゃれをして、「む~ん、ラブリー♪」と思っているに違いない。バロック初期、17世紀全般は、オランダのファッションが世界の中心の最先端でした。オランダはスペインから独立し、いち早く市民政治をスタートし国家の勢いがありました。それまでの貴族趣味の反動から市民階級のファッションが大注目だったのです。コルセットがなくなり、スカートがハイウエストになってゆったりらくちんになりました^^ その後、1670年代に入るとフランス、ルイ14世の宮廷ファッションに流行が移っていきます。
私が可愛い~と思う黄色のドレスは、フェルメールさんも、「超かわいいっ」と思っていたのでしょうか。黄色のサテンに白テンの毛皮をふち取った、最高級素材。フェルメール没後の遺産目録に(1676)に載っているらしい。大負債の中で絵は売ってもこれはキープしてたんかい^^;

窓辺でリュートを調弦する女*フェルメール展あり
1662-65 51.4x45.7cm
メトロポリタン美術館蔵
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黄色ガウンシリーズ。うーん。どうもこの幽霊ぽいお嬢さんはやばい。霊感がありそうだ。。

手紙を書く女*フェルメール展にはありません
1665-66 45x39.9cm
ワシントン ナショナルギャラリー蔵
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可愛い~でも、髪の生え際が後退しておるのでは・・(余計なお世話)
リボンの髪飾り、はっきりみえるガウンもかわいい~^^こっちを向いて、「なに?」の顔?これは窓がなくて、本人と机の上のものだけに光があたる。ここらへんも「つくられた美」のような。スポットライトを浴びたみたいに眩しくて、腕の白さまで光ってますが、光はやわらかいの。机の真珠と、ボックスの金の鋲が強めに光を集めています!

女と召使*フェルメール展にはありません
1667-68 90.2x78.7cm
NY、フリッツ コレクション蔵
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同じく、黄色ガール。てゆーか、ちょっとお姉さん?これも窓はなく、手紙・・よりもっとスポットが強くて二人が引き立っています。「お手紙が届いております。」「・・はて。・・・?」って感じ?何気ない仕草がすごくリアルです^^

真珠の耳飾りの少女*フェルメール展にはありません
1665-66 44.5x39cm
ハーグ、マウリッツハイス美術館蔵
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はい~出ました~。映画にもなった、この絵。真珠、唇、瞳、みずみずしく光が集ってます。光はあるものでなく、作るものなのですね・・。
色々なものが単純で、存在が際立っています。


レースを編む女*フェルメール展にはありません
1669-70 23.9x20.5cm
ルーブル美術館蔵
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レース編みに熱中する女性。髪型が不思議ですね~。熱心すぎて、見てると肩がこりそうです^^全体的なタッチは簡素化してやわらかいのに、女性の服のレースは細かくて、キラキラしてます。白と赤の糸が、液体が流れ出るようにきれいです。この絵はダリが熱狂的に愛したとのこと。

ヴァージナルを前に立つ女*フェルメール展にはありません
1669-71 51.8x45.2cm
ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵
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後期の単純化と様式化が繊細さを生み出した、最高傑作。明るい部屋で、金の額縁も光り、青、黄色、白がまぶしい。ヴァージナルに女性の影は映らず、よく見ると女性の方が前にせり出す「不思議絵」のようなのだけど、それが女性の存在感を高めているのだと思う。青い肩の部分、腕のレース、ピンクのリボンの飾りがすごく美しい。 日本人的には、もうちょっと肌がオークルでもいいのでは^^;と思うけど。。フェルメールさん、光のあり方と、空間の作り方をずっと探し続けて、同じ服や同じ家具でチャレンジしてきました。もっと作品が見たかったですね^^

長々と失礼いたしました。
11月3日にフェルメールさんの特番があるらしいです。見よーーっと♪
ではまた^^
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My Favorites [アート]

さん・れん・きゅーーっ(・▽・)/

今日は妹分でもあるお友達の誕生日。なんと、アミグルミ(自分アイコンのウサギ)を作ってくれたのも彼女なのです!おめでとう♪♪楽しいことたくさんありますように。
今日お誕生日の人に♪たくさんのHappiness祈ってます^^

大人気のシャガール氏、ふたたび登場の巻~!

「誕生日」1915年(28歳 ヴィテブスクにて) NY近代美術館蔵
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ベラは花を摘んで、部屋中を引っかきまわし、一番上等の黒いドレスを着てシャガールの部屋をノックノック。大感動する画家は即、肖像画を描き出します。愛するものたちは花束の魔術で空を舞うのでした。

「・・彼女と一緒に青い空気、愛情、花が入り込んできた。
白ずくめの衣装、または黒ずくめの衣装で、彼女は私の芸術を導きながら、
ずっと以前から私の画布の向こうを飛んでいた。」
(マルク シャガール「わが回想」)

1924年、パリ オルレアンの自宅。すごい壁!本人の家だから当たり前だけど、すごーい。
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「私と村」1911年 NY近代美術館蔵    「私と村」1923-1924 ポーラ美術館蔵
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1911年の方の直視して向かい合う視線、イキイキした瞳、牛も人も口角が上がっていて幸福感があること、男の持つ木の実がキラキラしているところなんかが好きです。ちなみに上の自宅の写真の、左端の絵は、また別の「私と村」と言われています。

「リラの花の中の恋人たち」1930年(43歳 パリ在住) NYリチャード ツェイスラー コレクション
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ひそやかに安らぐ恋人たち。そんな時もヴィテブスクの橋やシナゴーグが月の光に浮かびます。

「私は貧しく、私の側には花はなかった。
ベラが初めて私に花を持ってきてくれた。
人は長いこと花の意味について考えることができる。
しかし、私にとって花は人生の至福を意味するものだ。
人は花なしで生きる事はできない。
花はひとときドラマを忘れさせる。
しかしまた、花はドラマを映し出しもする。」
(Marc Chagall:愛のシャガール コレクション)

「天使の墜落」1923~33~47 バーゼル美術館寄託 イダ マイヤー シャガール蔵
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戦争の惨劇、争うあう人間の罪の深さを落下する天使に暗示。1932年に天使とユダヤ人、33年に男と牡牛、家並みを加え、1947年、十字架とと母子を加え、平和への祈りを託しました。

「パリ・オペラ座の天井画」1960~1964(73歳~77歳)
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文化大臣の依嘱。す・て・き^^

「フルート奏者のいる新婚夫婦」1981年(94歳) 個人蔵
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甘く静か。おだやかな温かいフルートでしょう^^

これを書いていたので、偶然「音楽戦士」のGLAYさんを見ることができました。
「I Love Youの意味を探している 見つからなくても君を探し続ける」♪♪
I Love Youの意味ってなんでしょう?渇愛と慈悲が共存するものなのでしょうか。
私には、一生のうちに、I Love Youがわかるのかな?^^とりあえずは、シャガール氏の絵に思いをはせてみます^^

明日は良い天気のようですね!Good Night♪
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箱根<ポーラ美術館> [アート]

箱根の旅に行ってまいりました^^ 

まずは箱根湯本から登山電車です♪
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箱根登山電車は粘着式普通電車での最急勾配80パーミル(1mで80mm登る)を誇ります♪更に曲線半径30mの急カーブ。水を撒きながら進み、車輪とレールの磨耗を防ぎます。スイッチバックで車掌さんと運転士さんが入れ替わるのんびり感や、とことこ進むなごみ感は旅を盛り上げる仮の姿。「すげーやつ」と言えば、こいつのことなのだ!おぉ~@□@!!

強羅からバスに乗ってポーラ美術館に到着。「シャガール 私の物語展」をやっていたのでーす^^木立を抜けるとモダンな建物が~
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入ると~
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きれい~^^

マルク シャガール氏(1887~1985)はロシア・ヴィテブスク村にユダヤ人として生まれ、ペテルブルグで絵を学び、1910年パリに行き、第一次世界大戦とロシア革命の際は、ロシア、ドイツ、フランスを移動し、第二次ではアメリカに亡命。ユダヤ人のアイデンティティーが戦争に翻弄される中、感覚に直接訴える色彩に宗教や民族を超えた普遍性を表現し、また第二次世界大戦でヴィテブスクが消失した後も絵画で故郷を再現し続けた、と言われています。35歳で「わが回想」も著し、絵画だけでなく文章や詩、言葉でも自分を語りました。油彩、水彩、また素晴らしいリトグラフの他、パリ オペラ座の天井画やNY国連のステンドグラスなども^^ そしてアメリカン バレエ シアターやメトロポリタン オペラの舞台美術や衣装も手がけています!^^

1915 町の上で、ヴィテブスク
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1915 7月に結婚したばかりの二人です。

1923 私と村
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今回のポスターにもなっている。この絵はオリジナルが1911に描かれていて、私はそちらの方が好きかな。同じ構図で微妙に違う絵が、計7枚かかれています。「村」は、ロシア語では世界、宇宙、平和を表すミールという言葉だそうです。

1947 ヴィテブスクの冬の夜
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こんな夜の深い寒い夜でも、鮮やかです。

1949 恋人たちとマーガレットの花
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「彼女と一緒に青い空気、愛情、花が入り込んできた。」fromわが回想 花は二人の幸せの象徴としてたくさんの作品のモチーフになっています。

1948 「アラビアンナイト」 超美しいリトグラフ
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ベラが亡くなった後一年間筆をもてなかったシャガールが、娘と新しい恋人に支えられて戦後の出発点となった作品。

1961 「ダフニスとクロエ」の挿絵本の扉絵。幸せあふれる美しいリトグラフ。
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シャガールはなぜかとてもアゲ↑な気分にさせてくれます^^ 色彩が鮮やかですがヴィヴィッドというよりまろやかですよね。ナチュラルで温かい気持ちになるし、かつエキセントリックでぬるくならない感じ^^ 一番好きなのは「誕生日」です^^
次回も箱根の旅その2です!^^ 今日はたくさん歩きましたよ~おやすみなさい!
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国宝 薬師寺展 に行きました。 [アート]

楽しかった~。日本人で良かった・・という気持ちになりました。

背景(いまさらですが)・・・
680年、薬師寺は天武天皇が皇后の病気平癒を願って建立を発願したが686年に天武天皇は亡くなってしまい、皇后が持統天皇となってその建立を引き継ぎ、695年位に出来たとされています。
天武・持統天皇の時代は、天皇と豪族の格と力の差が著しく、天皇は神とされ強大な権力を持っていました。天武天皇は律令と官僚機構をを制定し武力や権力でなく律令による天下泰平をめざし、持統天皇がその理想を引き継ぎました。そんな中で国家寺院としての薬師寺の役割は、薬師如来の力によって病気回復、現世利益、天下泰平を祈願し実現させるべきものであり、薬師如来像は堂々として威厳に満ち、慈悲の広大さを表現するものでなくてはならなかったのです。

ということで・・・。
薬師寺金堂本尊薬師三尊像
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中央が薬師如来像(今回はなし)、向って右が日光菩薩像、左が月光菩薩像。(この2像は今回初めての外出。)ちなみに・・如来はさとりを開いた者。修行があまりに厳しいので、伸びた髪が丸まってパンチパーマになります。たくさんの人を助けるため、指には水かきがあります。差し出す手は「願いをかなえてあげるよ」かざす手は「こわがらなくていいよ」

日光菩薩&月光菩薩
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いずれも身長3m強。迫力!!!腰をひねり、片足に重心を置いた姿勢。ぬるっとした肌の質感、ふくよかな健康美、完璧な美として超越者をあらわしています。おぉ~~~と畏敬の念を感じます。普段は光背があるので、今回は360°で見れるめったにない機会のよう。肩の丸み、背中のラインから腰の肉付きの感じは非常に美しかった。
ちなみに菩薩は将来さとりを開くために一生懸命修行中。さとりを開く前のシャカのイメージなので、いでたちは古代インドの貴族です。

そして、私のお気に入り、聖観音菩薩立像。身長188cm東院堂の本尊。
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直立する姿勢がりりしく、細身でしまったスタイル。顔立ちもりりしい。そしてやや装飾物が多く派手。腰周りのじゃらじゃらしたものは、ロックな人を思わせる。腕輪もおしゃれ。編みこんだ髪にウェービーな毛束が肩にゆれるシュールな髪型。

そして東塔。730年建造。その水煙。
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水煙は塔の一番上にあるのですが、三人の天人が透かし彫りになっています。火焔に見えるものに「水煙」の名前がついていて、火災にあわないようにとの願いが込められているとのこと。誰も見ないこんなところも芸が細かいのですね。

このほかにも狛犬さん、吉祥天、三蔵法師など、色々あって充実していました。6/8まで。お早めに~~。

ところで・・・余談ですが、天智天皇・天武天皇のあたり、人間関係がドラマを越えたすごいことになっていますが、血縁関係はどうなってるんでしょうか。額田王と、兄弟である天智・天武の三角関係に驚いてる場合でなく、天智の皇女は4人も天武の妃となっていて、家系図ぐちゃぐちゃの大変な状態です。いいのぉ?これ・・。

天智天皇・・・
「香具山は畝傍雄男しと 耳成と 相争いき 神代より かくなるらし いにしえも しかなれこそ 現身も 配偶を争うらしき」→香具山は耳成山と畝傍山を取り合って戦っていた、昔からこうなんだから今だってそんなもんだよね
天武天皇・・・
「紫の 匂える妹を 憎くあらば 人妻ゆえに われ恋めやも」→華やかで美しいいとしの君。お前が憎いなら、なんで他人の妻なのにこんなに恋焦がれるものか(この時額田王は40歳)
一方。
弓削皇子(天武の子供)・・・
「いにしへに 恋ふる鳥かも 弓弦葉(ゆずりは)の 御井の上より 鳴き渡りゆく」
持統天皇の吉野の御行についていった皇子が、ついてこなかった額田王に贈った歌。ほととぎすが、ゆずりはの元で鳴いていたのは、都に残してきた額田王の魂があとを慕ってきたのではないか。

なんだか豊かな時代は、恋愛も華やかだし、情も深いように思います。奈良にいきたくなりました!
では~^^

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